麻雀による夫婦ゲンカというと、大抵は「麻雀で帰りが遅くなる夫に妻が怒ってケンカになる」というパターンを想像するのではないでしょうか? 我が家の場合は反対でした。
母は私が小学校を卒業するころまでは普通の専業主婦だったのですが、父の転勤により家族で東南アジアで生活することになった結果、好むと好まざるにかかわらず「有閑マダム」の仲間入りをせざるを得なくなってしまったのです。
数十年前のことですから、欧米人や日本人はお手伝いさんを雇う(というよりも「雇ってあげる」)のが当たり前とされていました。銀行の支店長クラスともなればお手伝いさんも1人ではなく2人、それにお抱えの運転手さんや庭師さんも雇うのがその時のその土地の常識だったので、「郷に入れば郷に従え」でいくしかなかったのです。
こうして暇を持て余した母は、「月曜はゴルフ」「火曜は手芸クラブ」「水曜はエステ」「木曜はボーリング」「金曜は麻雀教室」という時間の過ごし方をするしかなくなってしまったのです。
うらやましいようにも思いますが、それはそれでつき合いも兼ねているので大変な面もあります。夫同士が同じ会社の上司と部下であったり、取引先であったり、子ども同士がクラスメイトであったりという濃い関係の中のサークルであって、自分で選んだ自分だけのしがらみのないつき合いというものはなかなかできませんから。
こういういろいろな催しや教室の中で、母が一番興味を持ち、めきめきと頭角をあらわしたのが麻雀でした。それまで知らなかった麻雀の奥の深い世界が「箱入り娘」から「箱入り奥様」へと変化しただけだった母にはとても珍しく、とても楽しいもののようでした。私も、そんなふうに生き生きと楽しそうにしている母を見るのが好きでした。
父の任期の切れた帰国後は一般的なサラリーマンの主婦の生活へとまた戻ったので、東南アジアにいたときのような優雅な暮らしはもうできません。母の麻雀好きも、日本の暮らしの慌ただしさにいつしか心の片隅に追いやられていたかのようでした。
そんなある日、「健康麻将」というものの存在を知った母は「健全な知的ゲームとしての麻雀」がますます気に入り、そこの協会の集まりに顔を出すようになりました。そこでは段位認定制度もあるということで、「昇格したの!」と嬉しそうに帰ってくる母を見ることもしばしばでした。
父は、自分も若いころは競馬などをやっていたこともあるくせに、なぜか母の麻雀好きを初めからよく思ってはいませんでした。どうせ昔ボロ負けしてトラウマになっているとか、そんなことが理由なのでしょう。もしかしたら母の方が自分よりも明らかに強そうなのが、おもしろくなかっただけなのかもしれません。
いつもブツブツ、ネチネチ、嫌味を言ってはいる父でしたが、ある日ついに、協会から帰宅した母の持っていた麻雀牌ケースを奪い取り、中の牌や点棒を床一面にぶちまけるという愚挙に出たのです。「なんや、こんなもん!」と叫びながら……。
楽しい時間を過ごして帰宅した母の顔が見る見る曇っていくのを私も悲しい気持ちで見ていました。そして父が怒り去った後、一緒に床の牌や点棒を拾い集めました。「お父さんは何で麻雀が嫌いなんやろうね」「さあ、わかれへん……」
私は特に麻雀が好きではありませんが、麻雀に対して何の偏見もないし、複雑で楽しい知的ゲームの1つだというふうにとらえています。また、勝負を通した人とのコミュニケーションというのも、おもしろいものだと思っています。同時に、自分の狭い枠の中で独断と偏見で人の趣味をけなしたり、おとしめたりするような人は人間として恥ずかしいなと思います。
麻雀愛好家の皆様は時としてそんな偏見にさらされることがあるかもしれませんが、そんなものには堂々と立ち向かっていただきたいと思います。母はそんな暴君の弾圧にも負けず、その後、健康麻将の全国大会女子の部で見事に優勝を果たしました。
そんな母をみて私も麻雀にハマりだしました。はじめはAI対戦の麻雀ゲーム(麻雀天聖)からはじめ、ゲームの流れや役、符計算も覚えました。
不思議と私が麻雀を覚え始めると父も母も仲良くなった気がします。過去、父が麻雀でいい思い出がないのなら今後は家族で麻雀しながら楽しい思い出を作っていければなぁと思います。

投稿者 Marie